第171回目

短編小説第171回目です。
まさかの2月、まったく更新していませんでした。
……忙しいとダメですね。

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 口に含んだ瞬間に、芳醇な香りと甘酸っぱい思い出が広がった。
 あの時のことだ――。思い出というよりは、理解できたと言うべきだろう。沙由美(サユミ)は、そう思った。
 高校生の頃、大のロック好きだった沙由美は、毎日のようにライブハウスに足を運んでは、メジャーデビューを夢見るたくさんのバンドの演奏を聞いた。
 有名無名ジャンルを問わず、星の数ほどのバンドを知った。
 そして、見覚えのある顔に会った。
 いつもと違い突き刺さるようなウニ頭にしていたが、確かにクラスメイトの男子だった。
 普段は女子と口も利けないほど、おとなしい。だが、今は社会に対して堂々と不満を連ねている。
 沙由美はしつこく彼を問い詰め、そのバンドマンが自分であることと、作詞作曲もやっていることを認めさせた。
 沙由美は喜んだ。多少中二病臭い曲ではあったが、彼の曲はメジャーでも十分通用するものがあった。
 彼を自宅に招いて、今後のバンド活動やメジャー展開について、父と打ち合わせしてもらった。
 ついに輝ける才能を自分で発掘した――。彼よりも沙由美の方が興奮した。
「お母さん、この酢豚すっごく美味しいわ。でも、パイナップルは入れないでね」沙由美は言った。
 あの時の彼の気持ちが、今になってようやく理解できた。
 このわけのわからない怒り。
「全然連絡が来ないんだけど?」彼が、デビューの話はどうなったのか、沙由美に訊いてきたことがあった。
 ただ、彼のメジャーデビューについて、医者でロック好きの父と打ち合わせしてもらっただけの沙由美には、わからない話だった。

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短編小説第172回、テーマ「パイナップル」でした。

Photo by (c)Tomo.Yun (http://www.yunphoto.net)