第134回

短編小説第134回となります。
ちょっと、受験シーズンはすぎてしまったのかな?
そのくらいの季節のお話しだと思います。


すべてから解放されたあの感覚は、実は人生においてそう何度も味わえるものではありませんね。

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「まだ、起きていたのか?」
 もう誰も起きていないはずだ、と決めつけていた。トイレのために部屋を出た瑠璃(るり)は、暗闇を歩く影に凍り付いた。見慣れたそのシルエットは、父だった。
「寒くないか?」
「うん、大丈夫」
「受験も終わったし、しばらくはゆっくりできるな」
 夜更かしを咎められるかと思った。しかし、父は薄く微笑むだけで、自室に戻っていった。
 辺りが、また静寂で固められる。闇に残存した父の気配だけが世界の主役となった。
 そうだ。父ならまだ起きているのだ――。
 身構えていたせいか、この短い会話が物足りなかった。瑠璃は自室に戻ることなくその場に突っ立っていた。
 大学には、推薦入試で受かった。これから春になるまで、大好きな夜更かしを満喫できるだろう。瑠璃は、止まった時間を浮遊するように歩ける夜が好きだ。父譲りかもしれない。
 父はずっと夜に生きてきた。夜の味を最近になって知った自分と違って、夜の住人は、もともと父だった。なぜ、そんな生活をしているのかはわからない。疑ったことすらなかった。研究には、その方が都合がいい。勝手にそう思っていた。
 瑠璃は照明のスイッチを入れ、書斎まで歩いた。ドアから薄い明かりが漏れていた。
 鉱石をじっと見つめる男の背中があった。小さい頃、よく眺めた背中だった。
 ……果たして、そんな記憶は、いつからあったのだろう。
 瑠璃は、父に声をかけようとして、やめた。
 父は、のみを細かく動かしていた。無愛想な鉱石達が、やがて美しい輝きを放ちはじめる。父の娘に成っていった。
 父の自分に対する時間は、きっと止まったままだ。瑠璃は、そう思った。

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短編小説第134回、テーマ「瑠璃」でした。


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