第113回、後編

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 目の覚める心地がした。入江(いりえ)は、礼も返事もできずに、ただ喜びを噛みしめた。
 君とは気が合いそうな気がする。
 今の言葉は、褒めてくれているのだろう。この教授に憧れて大学に進み、何度も妄想したことだった。入江はこの状況をビデオに録画しておきたい気持ちにかられた。
「面白いものを見せてあげよう」
 教授は手招きして、部屋から出て行く。入江があわてて着いていくと、研究室棟最奥にある通称『あかずの間』へと導いた。中に入ると厳重に施錠する。パチンと指を鳴らすと、スポットライトが灯り、音楽が流れ出した。入江の大好きなサラの曲だった。
「これは……」入江は感動でふらつきながらも部屋の中央に進んだ。スポットライトが照らし出したのは、等身大のサラだった。
「サラの蝋人形。それにこの音響。コンサート会場の再現ですね。……確かに贅沢だ」
「蝋人形なんてちゃちいものに見えるかね?」教授は眉根を寄せた。
 気に障ることを言ってしまったか。入江はあわててサラの人形に向き直った。
 子供の頃からずっと好きで、CDのジャケット写真も飽きることなく見つめたサラの姿。映像でもない、ホログラムでもない。肌の張り、髪の毛の艶……このサラは、人形にしては、あまりにもリアルだった。
「は、剥製? まさか教授」
「いくら私でも、死体を保存するような真似はしないよ」
「じゃあ、これは! このサラはまるで生きている……生きている?」
 蝋人形や剥製では、生気など感じるはずがない。入江はサラの姿に恐怖を憶えた。三年前投身自殺をしたサラ。生きているはずがない。しかし、もう一人のサラを作り出すことができる人間が、ここにいる。
「どうだったかしら、私の演奏?」生きているサラが、入江に話しかけてきた。

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短編小説第113回、後編、テーマ「生(なま)」でした。


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