第82回

短篇小説第82回です。
まあ、前置きはこのくらいにして。

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 一筋の風が、火照る身体をさらっていった。
 ひどい乾燥。高い温度にくらくらする。汗は、出てきたそばから蒸発している。
「誰も、呼びに来ないのかな?」
 ここで過ごすのは、もうどれくらいになるだろう? 佐知(さち)は、つぶやいた。言葉は大気中の水分となり、すぐに消え入っていく。
 自分たちの他に、誰もいない。隔絶された空間。だけど、いい。
 佐知はその場に寝そべる。荒々しい茂みの中に手を入れ、一本の茎を優しく握りしめた。
 柔らかく、しおれている幹。潤いを与えれば、また勢いを取り戻す。ここには、邪魔者はいない。命の力が目に見えるようだ。
 だが、帰った方がいいのだろうか――?
 遠くで鳥が鳴いている。ふと、我に返った。
 ここは決して過ごしやすい場所ではない。不快指数は異常に高い。家族だって、きっと心配している。しかし、帰る自分を想像できなかった。
 だいぶ前に脱ぎ捨てた服が目に入った。……こんなもの、ぜんぜん必要ない。だって、恥ずかしいことなど、何もない。また雨が降ってきた。
「どうした?」眠っていた彼が目を覚ました。「朝? うわー、もうこんな時間かよ、また授業サボっちまった」
 佐知は彼に口づけし、横にぴったりとくっつく。「ねえ、やっぱり赤ちゃんほしいな」
「またその話しか? だめだって。学生の身分じゃ育てられない。オレ、仕送りも少ないし……」
 佐知は無言で黒い茂みに手を伸ばす。さきほどの茎を再び握りしめ、唾液と共に口に含んだ。陰毛をなで、幹をこする。それはすぐに大樹となった。
「大丈夫。これだけ生命力があるんだもの」
 舌をはわせ、爆発する獣を呼び起こす。そして、自分自身へとあてがった。

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短篇小説第82回、テーマ「ブッシュ」でした。
ブッシュって、私のイメージではもっと鬱蒼とした草原なんですけどね。
たまには、こんなのも……。


Photo by (c)Tomo.Yun (http://www.yunphoto.net)