第45回

 見晴らしの良い喫茶店だった。すぐそこの信号待ちをする、車の助手席の中まで見える。白いワンピース、ダイヤのネックレス――。
「きゃっ」はっとして立ち上がると、ちょうどコーヒーが運ばれてきた所だった。
「あ、ごめん」暴れる液体に、ウェイトレスがのけ反っている。慌てて腰を落ち着けると、男はまたぎょっとなった。
「びっくりしましたぁ」ウェイトレスは、まだ幼い女の子だった。ひいき目に見ても小学校高学年。法律的に、客商売が許される年齢には見えない。「癒しのコーヒーですよぉ」笑顔で差し出されるカップ。男は苦笑いしながら、ままごとにつき合わされているような気分でそれを口に含む。
「ぐわっ!」その顔が歪んだ。強烈な刺激が腹に落ちる。
「ぐ、ぐふっ、何だ、これは?」男は咽を掴んだ。空っぽの息が出てくる。母親が授けてくれた味覚を全否定されたような、おいしいとは真逆の味。脳みそに塩水を浸透させられたような衝撃、不快感。
「何が癒しのコーヒーだ。これは……悪魔だ、悪魔のコーヒーだ!」まともに喋ることができる頃には、たっぷりの汗が床に滴り落ちていた。ウェイトレスは笑って返答する。「まさかぁ。悪魔って事はないでしょうー」
「毒を盛ったんじゃないだろうな?」
「その逆ですねえ」
 もっと詰め寄ってもよかったが、優先したい用事がある。財布を取り出した。
「…………」たったワンコイン。五百円玉を凝視してしまう。
 これの何千倍を、あの女につぎ込んできたのだろう――。ぼうっとしたままの手で、少女に渡す。
「ありがとうございましたぁ」
 店を出た。恋人の車はもちろんもう、見えない。運転席の男は、きっとこれまでの自分なのだろう。そう思った。

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短編小説第45回、テーマ「癒し」でした。
同僚からもらったテーマでしたが、まさか自分がこんなものをテーマにするとは意外でした。