さらに投稿します。
第36回[城]です。

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 夜が更けてきたが、のれんを下げる気配はまだない。雰囲気の良い店だった。少々黄色みがかかった和製アルコールを口に含む。少し酸味が強いが、いい切れ味。
「どこのだ?」訊くと、主人は新潟と、短く答えた。
「でもこれ、ワインだろ?」あまり慣れない香りを楽しんだ後、彦根は鼻を鳴らした。主人は笑って振り返る。「お疲れのようなので、試してみました。今日は何かありましたか?」
「取締役会で吊るし上げだよ」彦根はネクタイを緩める。「これでも一番年下なもので」はっとしてまわりの客を確かめた。
「大変ですね。お酒は、忘れるためですか?」
「引いては自己防衛、そんな感じだろう。しかし……毎日来てるな。守りすぎかな?」彦根は苦笑する。
「毎度ありがとうございます。いっそのこと、ここに引きこもってしまえばいいんですよ」主人のそれは、一層優しくなった。
「守ってくれるって言うのはありがたいけどさ、ここは良い値段だ。会社に行かなきゃ、すぐに兵糧攻めだよ」
「ここで働けばいいんですよ。おいしいお酒も飲めて一石二鳥。知ってますか? 彦根さんは良い舌と鼻を持っているんですよ」
「そうなのか?」
「はい。ですから、彦根さんの趣味でお酒を揃えていったら、繁盛するようになりました」
 良い気分にさせる技がついたからじゃないのか――? 店内を眺める。確かに、自分好みにしていった形跡が染みついていた。小さな店を良いことに。
 そう言えば、なぜここに通うようになったんだろう――。呂律の回らなくなった記憶は探らないでおく。
「大企業の頂点は居心地は良いですか?」みずきは彦根の顔をのぞき込んだ。「小さいですけど、一国一城の主になれますよ?」
 赤い着物が、今日も愛らしかった。