第148回

短編小説第148回です。
今回も、少しは夏にぴったりの感じかもしれません。

……とか、最初に言っちゃって、大丈夫かな。

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 ほつれてちぎれそうになったロープは、糸のように細かった。
 いきなりの強風にあおられて、宙づりになった。高層ビルの窓拭きのアルバイトなんて、するものじゃない。男は後悔した。
 ロープはあと、どれくらいもつだろう。
 目の前には、細い糸が垂れていた。正確には、毛だ。
 恐る恐る上空を見た。屋上には、ギャラリィが何人も集まっていた。
 一人、耳たぶに長い毛の生えた女がいる。糸のように細く伸びたそれは、何十メートルも下の男の前にまで降りてきていた。
 この毛の方が、案外丈夫かもしれない――。
 男にそんな考えが浮かんだ。
 ありえない話かもしれない。だが、このちぎれそうなロープに比べれば、耳たぶの毛の方が、頼りがいがありそうだった。
 しかし、そんなことをすれば、自分の全体重が女にのしかかる。ここから見ただけでも、華奢な体つきをしていた。
 それでも、こうしていれば確実に死ぬ。毛の強さに賭けるしかない。しかしそうすれば女は――。
 男の葛藤は、出口のない袋小路でぐるぐると回った。死が迫る恐怖が、答えを導かせなかった。
「レスキューが来るまでに、このロープはちぎれてしまうでしょう」男が糸に囁くと、音が伝わっていった。
「あなたも死ぬかもしれませんが、私を助けてくれませんか?」
 返事は、こない。
「このような状況になってから、私はまったく助けを呼んでいません。この声は、あなただけに聞こえていることでしょう。私は、あなたに助けを呼んだことをメモを残します。無視すれば、あなたは非難されるでしょう」
 耳たぶの毛が震えた。男は、判断を女に任せた。

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短編小説第148回、テーマ「糸」でした。
「糸」というテーマが巡ってきた瞬間に、ある程度は「蜘蛛の糸」を思わせる様なものにしようと考えていました。