これは、個性の小説ですね。 佐藤多佳子『黄色い目の魚』

黄色い目の魚 (新潮文庫)
佐藤 多佳子
新潮社
売り上げランキング: 37187

これは何というか……「自分もそうだった」という郷愁と登場人物の生き方を気に入るという2つの点が味わえるすごく正統派の小説。
しかし、一人称の文体にすごくスピードがあり、かつ無駄な心情の記述が少ない。これは、なかなかに希有。リズムがいいので、文学界のラップなんかより、スムーズに頭に染みこんでくる。


面白かったか、どうか、から先に言うと、
★★★★★
とてもよかった!


なるべくネタバレしないように簡単にストーリィを紹介すると、高校生二人が恋に落ちるまでの成長期。
男女二人の主人公の視点から、短編的な文章量で1つのエピソードが語られる。
「絵を描くこと」を軸に、自分の気持ちがだんだんと「描き出されていく」のだ。その過程。
男の子(木島)と女の子(村田)が徐々に成熟していく様子が描かれている。


まずは、なんといってもストーリィが良かったと言うべきだろう。
料理で言うところの「味」が良かった。
見た目や独創性もいいけど、まずは、面白かった。


想像するに、小説なんてものは奇抜さを求めた方がいい。
売上的にも話題的にも。
イケイケで「マジやばくなーい?」と大人が眉をひそめるような高校生に仕上げた方が、編集者的にも安心できたのではないだろうか。


しかしこの小説は、そうじゃない。
なんといっても、「自分」というものに、ひたむきに向かっている主人公二人が好感が持てる。
物語は、幼少、小学生の頃から始まり、そろそろ大学受験、というところまで進むのだけど、この二人、非常に「ありがち」で、かつ「なかなかいない」のだ。


何かに打ち込んでいる人にとっては、その精神性は「ありがち」でよくわかる。
だけど、楽をベースに人生をすごそうと思っている輩には、多分なかなかいない、わかりあえない精神性だろう。
前者が、この物語の主人公の二人というわけ。


夢や悩みを持った高校生。
それは十人十色。
この二人は、まわりの環境もあって「絵」「絵を描くこと」に自分を見い出していくのだ。


これを「純粋」と捉えれば、それまでだろう。
しかし私は、そうは言いたくない。(何言ってんの、オレ?)


この二人は、自分が「そうじゃない」「なんか合わない」という感覚に、とても素直。
わからないからこそ、わかろうとしていた。そこに必死だった。


自分に素直という言葉の意味は、「むき出しの自分」とか、「肩の力を抜いた」とか、「そんな彼女の普段の顔」とか、そんなスイーツ(笑)なことじゃなくて、「自分が思っていることをきちんと表現できること」だった。
似顔絵がうまくても、それは自分が見ているものとは違っていたのだ。


この感覚、絵を描く人だけじゃなく、音楽でも文学でも、勉強でも、スポーツでも何か表現に真剣に向かい合っている人は、わかるんじゃないかなぁ。
とにかく、こんな二人を書いてくれた佐藤多佳子さんに感謝!
これで救われた高校生はたくさんいるんじゃないかな。


それにしても、残念なのは、文庫版のカバーイラスト。
私のイメージでは、この二人は制服を着ていない。
……いや、いっつも着ているはずだけど、こんな風にして、崩しているだろうけど、イラストに起こすときは、私服の方が良かったんじゃないかなぁ。


二人は、自分の格好をしている、と思うのだ。
みんなと同じ制服を着ていても、多分、自分の服になっている。
そう思う。
これは、個性の小説ですね。


て、ことで、ハードカバー版も張っておく。
この鉛筆がくっつきそうで、くっついてない感じの方が、自分の気持ちをなかなか描き出せない二人をよく現している。
そう思いませんか?

黄色い目の魚
黄色い目の魚
posted with amazlet at 09.02.20
佐藤 多佳子
新潮社
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柄にもなく、熱くなっちゃったぜ!