第93回
短編小説第93回目となります。
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「あのひぃ〜、母とぉ二人でぇ〜」
くすくすと笑う声が聞こえて、我に返った。
まわりには誰もいない。笑っていたのは、自分だった。
「ヒデトシさん、やめてください!」
「あ、看護婦さん。私は湿っぽいのは嫌いでして」
「時と場所を選んでください。お歌はまた今度!」
ここはどこだろう? 目の前には静かな流れの川が横たわっていた。自らの意志
で、ここに来た覚えはない。
「だいたい、歌詞も間違ってるじゃないですか」
「これが私らの間での歌い方だったんですよ」
「冗談もほどほどにしないと、あなたと言えども、出て行ってもらいますからね」
向こう岸には、死んだはずの幼なじみがいた。いつも憎まれ口をたたく痩せた笑顔。こっちに来い。そう言っているのだろうか。
「マチコさんには、恋人がいたんですよ。……いい奴でした。なのに、二十歳にもなれんかった」
「……昔の話しですか?」
「あいつが迎えに来るんじゃないかと思って……。だから、この歌でマチコさんのことを思い出させようかと……。あのひぃ〜、母とぉ二人でぇ〜……あがっ、顎が外れた」
おかしくて仕方がなかった。さっきから耳に届くこの歌は、調子外れもいいところだ。
「その恋人の方に、送り出そうというんですか?」
「今度コソハ、幸セに……。アイタタ、顎ガ!」
「ヒデトシさん、泣かないで。あなたは立派な人よ? きっと、その人より……」
優しい夫に巡り会えて、十分に幸せだった。もっと、幸せになるつもりだった。マチコは向こう岸に手を振る。まだ、死ぬわけにはいかなかった。
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短編小説第93回、テーマ「危篤」となります。
ちょうどこれを書いていた15日、母校の恩師が亡くなりました。
テーマがテーマだけに、公開を控えるべきか、考えたのですが、何かしら活動している様子を見せることが、せめて報いる行為だと思い、ここに公開します。
もともと友人から貰ったテーマで、危篤だけど、暗くならないように……。とのことでしたので、ちょうどいいかと。
直接指導を受けたわけではないのですが、私にも優しく声をかけてくださる先生でした。
ご冥福をお祈りします。