第83回

短篇小説第83回です。
本当は日曜日にはアップしてなければいけなかったのですが、
なかなかタイミングをとれず、今日になってしまいました。

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 焼香をすませ、市原(いちはら)は深々と頭を下げる。自身も妻を亡くして久しかったので、伴侶を失った気持ちは、痛いほどよくわかった。
 葬式からもすでに一週間。堺(さかい)も、もう喪服を脱いでいた。
「これから、どうされるおつもりで?」市原は尋ねる。他に言葉が思い浮かばなかった。
「ええ、自殺ではあったのですが、保険が下りることになりました。しばらくはそれで暮らせるかと」境はうつむきがちに答えた。
 一家の大黒柱を失った痛みは、経済面でも大きい。市原は胸を押さえる。境の無理な作り笑いに、こみ上げてくるものがあった。
 学生時代、二人は想い合っていた。いや、学生時代からと言った方がいいだろう。口にすることさえ憚られた恋。お互いに独り身に戻った今が、一緒になれるチャンスではないのだろうか。もう邪魔するものがないのだ。……もう、気に病むことはない。
「今でも、奥さんのことを?」境の質問に、胸をえぐられた。
「いえ、そんなつもりは」
「亡くなられたときのことを思い出していたのでは。……まだ、忘れられない?」
「もう、何年も前の話です」答えると、震えているのがわかった。妻への愛? いや、そうではない。愛ではなく、罪悪感が身を締め付けるのだ。
「もう、自由になったのですから」境は市原の唇を、己のそれでふさいできた。舌が口の中をうごめく。
 もう、いいのだ――。逆らうことなく、市原も同じ行為を返した。
「俺の女房も自殺、お前の夫人がまた自殺とは、誰も疑わないだろうか?」市原は火照った体をふらつかせて問う。ボタンがいくつか外れていた。
「僕らのこと、誰が想像できますか?」境はすでに喪服を脱いでいた。

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短篇小説第83回、テーマ「癒着」でした。
もともとは、医学用語というか、病院で使われていた言葉なのですね。


……しかし、こういうネタになると、特定の方々から
苦笑交じりに褒められるのです。


Photo by (c)Tomo.Yun (http://www.yunphoto.net)