第56回

短編小説、第56回です。
今回はちょっと話が大き過ぎて、800字にまとめるのに苦労しました。
10ページから20ページくらいにまとめるべきプロットだったみたい。

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 電車を降りると、廣川は、若い部下のことを思い出した。
「仕事、辞めようかと思うんです」ふさぎ込みがちだった太田が言う。
 廣川は少し面食らって、太田の顔をのぞき込んだ。「転職するつもりか?」
「はい。職場だけでなくて職種も……」
「そんな……。何か、あったか?」
「橋本さん、いますよね?」
「ああ。あの、その、痴呆の……」
 取締役になった廣川が現場を見ることは少なくなったが、二人は民間の老人介護施設の職員だ。
「言うこと聞いてくれないんで、怒鳴ってしまったんですよ」現役の太田は顔をしかめた。
「必要悪っていうのも、あるんだぞ」
「それは……分かっているつもりなんですが」
「連休ゆっくり休んで、頭を冷やせ」そんな甘っちょろいことで――。鼻で笑いたいのをこらえ切れなくなって、その日はそれで切り上げた。
「なんだ、通夜か」暗闇に浮かび上がってきた看板に驚いて、廣川は足を止めた。
 黒字に白の角張った文字。見慣れているはずのものを眺めていると、なんだかアフリカにいるという縞柄の馬を思い出す。黒、白。
 悪いことはしたくない、か――。廣川はふと、考える。早く出世した自分だ。悪い事など、気にする暇もなく走ってきた。顔を上げ、歩き出す。本当に、走っていたのだろうか――? そしてまた立ち止まった。
 ただ追われていただけじゃないのか? 喰われないよう、逃げ回っていただけでは――。
「お父さん、制服届いたんだけどさ、どう?」玄関を開けると、娘が笑顔で出迎えてくれた。廣川は苦笑し、一人頷く。いや、走っている。家族を守るために――。
「ああ、とっても似合ってる」
 由緒あるお嬢様学校に進んだ娘は、黒と白のセーラー服を着ていた。

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短編小説第56回、テーマ「シマウマ」でした。
画像はゆんフリー写真素材集さんから、拝借しています。