停電のち晴れ

お盆の中休みに東京が停電に見舞われた。電車はことごとく止まり、なぜか同僚のパソコンが壊れた。


こんな時思い出すのは、年末にお会いした時に先生が仰られていた(東京は)一度停電してみればいいんだ、という言葉である。


ことに、ここ日本では、動力源を燃料ではなく、電気から捕るのがよしとされる風潮になりつつある。どちらにしろ、大概において元は燃料なんだよというツッコミはさておき、気がつけば暮らしを支えるものから都市レベルでのインフラまで、電気の割合が高くなっている。そこに今日の停電だ。まるで予言の的中かのように静かな東京だった。


なんでも電気で賄えばよいという考えは、設計を貧相にするという意味だけでなく、エネルギー源のオルタナティブを模索するという意味でも危ないと思う。ノートパソコンのバッテリーは、だんだんゴツくなる一方だが、たとえば蜂蜜で動かしたら1年もったとか、そんな未来のほうが愉快だ。電気では革命は起きそうもない。


ところで、現代の主要な機器で電気を使うともれなくついてくるのが、二酸化炭素だ。停電の間、二酸化炭素が空中に上がらなかったのか、本日の空はとてもきれいだった。思うに、今年の長梅雨は、近隣諸国の急激な工業化により、二酸化炭素が多すぎたからではないか。東京は今日の停電により、曇りの予報の明日が、晴れになるかもしれない。