めぐみ

昔のものの移しです。まだ四回目か。
さっさと移さないと。

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 傘の群れが並び出す。目が覚めると同時に、雨が降っているのがわかった。ホームレスの朝は早い。日の出に大きく遅れることなく、一日が始まる。今日もまた、あの男がやってくるのだろう。ぼんやりとした頭で、そう考えた。
 ぴたりと止まったその革靴に、ホームレスは顔を上げる。平日はかかしたことがない。きれいに刈り込まれた髪に、利口そうな銀縁眼鏡。涼しげな目元は今更芸術を志そうが、急に悪ぶろうが、どちらにせよやっていけそうだ。男はいつもと同じようにじっとホームレスを眺め、そしてポケットをまさぐった。その日財布に入っている中で、一番小さな単位の硬貨を投げ込むのだ。男はホームレスと目が遭うと、無言の挨拶を交わし、駅へと向かった。
 もう一年になるだろうか。小銭とはいえ、積み重ねられた金は、結構な額になる。ホームレスは、男のことを思うと、この場所から離れられないでいた。仲間内から聞いたのだ。男は、妻と一人娘を事故でいっぺんに亡くしていた。めぐんだ金の分だけ、迷いがなくなればいい――。男にはもう生きる目的などなかった。
 何か、できないだろうか。あの男に何かめぐんでやることはできないだろうか。ホームレスは考える。一年分の小銭と引き換えに、男に希望を――。
 足を滑らせ、男は階段を踏み外した。混雑する時間帯。なぜか誰にもぶつからず落ちていく。これでいい。助からなければ、それでいい。一年遅れで、自分にもめぐみがほどこされる。
 気がつくと、ホームレスは雑踏の中に立ちすくんでいた。体にまとわりつく、何年も引きずった嫌な重みがない。視界がぼやけていた。……眼鏡だ。ゆっくりとを外し、左手の数字を確認する。腕時計の日付は一年前を指していた。