appstoreで死んだものは、何か?

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久しぶりにお外でBluetoothのキーボードを叩くことができています。
まあ、そんなことはいいとして、


「App Storeはほとんど死んだ」――UEI清水氏らが考えるスマホ時代の稼ぎ方


iOS5が発表されてから、上記のリンクのようなことが話題になっていますね。

私は、appstoreが死んだのではなく、iOSがもはや成熟して来た、のではないかと考えています。

確かにこの新しいiOSによって殺されてしまうアプリはたくさん出て来てしまうことでしょう。
それらのなかには、たとえiOS5がリリースされようが、もっと高機能な状態を維持しているにも関わらず、売り上げが落ちてしまい、撤退を余儀なくされてしまうものもあるでしょう。

ただ、WWDCキーノートのiOSパートを見る限りは、iOSは、こういう進化を遂げるべきものだった、とも考えるのです。

つまり、発表された新機能の数々は、あくまで「機能」として成り立ってしまうものではないか、また、アプリにするのであれば、もっと「ソリューション」を固めないとなかなか認められない、そんな時代になったのではないかと思うのです。

twitterFacebookのソーシャル系の通知をOSレベルでサポートすることなんかは、その代表例かな、と。

もちろん、こうやって通知をソリューションとしてきたアプリは、多大な影響が出ると思います。
私がいいたいのは、通知が機能、ということではなく、それを簡単に引き出せること、設定をいじらずとも簡単に通知を受けることがOSとして取り込まれる(とうれしい)機能だったのかな、ということです。

これからはtwitterの通知を受ける、ではなく、twitterを楽しむために◯◯なパッケージをしている、というのがアプリの条件になって来るのかな、とそう感じています。

いずれにしろ、appstoreが気軽なものでなくなってしまうのは、残念なことです。

ただ、iPhoneiPadが今後素晴らしいものであるために、ライバルのOSよりも成熟したものであるために、Appleがとった道ということなのでしょう。

これでもシェアを保てるのか、デベロッパの楽しい場所であり続けるのかは、疑問が残ることではあります。

ただ、「Androidではこんなに自由なのに……」というのをきちんとサポートしよう、という心がけは感じるものです。