一人称の鳥瞰視点 宮部みゆき『誰か』

誰か―Somebody (文春文庫)
宮部 みゆき
文藝春秋
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大企業会長の娘を嫁にもらった男が、その会長の運転手をやっていた男の死をきっかけに謎と愛憎に巻き込まれる物語。
続き読む、扱いにしますが、いつものごとく、ネタバレに注意ということで。

やはり宮部みゆきさんという作家は、ミステリにジャンル分けされるのだろう。
この『誰か』も一応殺人事件(事故)の犯人を捜す課程がストーリィの主軸にはなっている。犯人は、「誰」なのか、と。


しかし、ファンならずとも、作者が謎解きを訴えたいわけではないことに気づくだろう。
というよりも、私はなぜ『誰か』なんて、タイトルがついていることが気になった。


主人公は、いわゆる逆タマに乗った男だが、誠実で妻も家庭も愛している小説の世界では「まじかよ?」と眉をつり上げたくなるナイスガイだ。
だが、その分天然の名探偵でもなくて、それほど執着して事件の犯人を捜そうとしない。捜しているんだけど、わりと流れにまかせている感がある。


読み進めていく内にわかるのが、この物語、結構さまざまな年代の男女が登場するのだ。
決してキャラクタが多い、というわけではない。
一人の人間に関する幼少時代の記述、青年時代、年寄りの男、中年の女、その若い頃、赤ちゃん……といった風に「男女」「立場」「年齢」をうまくかけあわせている。
「犯人」が「誰か」ではなく、「誰か」をいろんな場面で切り取った、実は結論のないスケッチなのだ。イラストやデザインではない。小説である以上デザインなんだけど、スケッチすることをテーマにした物語なのだ。(何言ってるか、わかりますか?)


いろんな人がいるんだねぇ、と単純に受け取るのもいいだろう。このバラバラ具合に宮部みゆきの真に言いたいことがある、と深読みするのもいいだろう。
私はこの小説は宮部流の説教だと捉えている。怒られる、という意味ではなく、「こういう事があったんだよ」という歴史を教わるような気持ちで。
そこから何を学び取るかは、世にあふれる数多くの小説と同様、読む人の自由だ。


★☆☆☆☆