短編小説第33回、テーマ「麦」です。

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「また、だ……」
 少年は天を仰いだ。疲労は膝を付かせ、湿り切った顎紐に汗が伝う。
 幼い頃から慣れ親しんだ、近所の森のはずだった。「何で、同じ場所に戻ってくるんだろう」帰宅しようと思った正午過ぎから、ずっと同じところを彷徨っている。夏休みの最後の一日。すっかり忘れていた自由研究に、と捕まえたクワガタも、カゴの中で動きを鈍らせていた。
「夏休み中ずっとゲームしてたからなー」
 今年一年分日焼けしそうな、強すぎる日差しだった。少年は草むらに寝っ転がる。迷子になってから、一日も経っていない。昼ご飯のためには、家に戻らないことも多々あったから、母はそれほど心配もしていないだろう。
「どうすっかなー」
 しかし少年にとっては絶望の始まりだった。どうしていいのか分からずに、涙ぐむ。日が暮れようが、この状況が変わるとも思えない。帽子を顔にのせた。明るい暗闇が火照った顔に優しい。
「車も通らないような田舎だし……」
 ぐずっていると、すぐに眠り込んでいた。
 時間をさかのぼったかのような、夢の感覚。汗と帽子の匂いが鼻を突く。誰かに呼ばれているような気がして目が覚める。「じいちゃん」祖父が顔を覗き込んでいた。
「おいで。さあ、帰ろう」幼い子供として扱われるように、手を引っ張られた。祖父が一緒だと、森はあっさりと少年を解放する。
「何で……。さっきまでは!」少年は叫ぶ。
「役目を、果したかったんじゃないのかい」表情の窺えない祖父が口を開いた。
「え、誰が? 何の?」
 立ち止まらずに、麦わら帽子を一瞥する。
「何が、だろうね」
 飼い犬が激しく吠え出す。気がつくと家路に着いていた。少年は玄関に駆け寄る。
 祖父はいつの間にかいなくなっていた。